2014年6月24日火曜日

69年前、これが出回りだした頃に父親がビルマに出征しました

東大阪、当時の布施、稲田の墓地近くの踏み切りで、父親の乗った貨物列車が通り過ぎる時に列車の窓に向かって、このはたんきょうを投げ入れました。それが父親との最後の別れでした。日本の敗戦も濃厚になっていた時期にビルマで何故インパール作戦が策定されたのか、あのバカげた負け戦が行われたのか、それが故に我が父親が死なねばならなかったのかと無念に思います。現在、自衛権発動ちう名目のもとに戦争を自由に行うことを憲法解釈の変更で可能にしようとする輩がいますが、大問題と思います。


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